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しおひめの「和文化おもてなし」~人と文化がつながる時間~

 

第九回:着物で辿る「冠・婚・葬・祭」

 

 11月に入り、七五三を迎える時期になりました。今月は、冠婚葬祭をテーマに伝統文化を辿っていきます。冠婚葬祭というと、堅苦しく窮屈なイメージをお持ちの方も多いと思います。決してそうではなく、私達の生きる時間と共に息づいた文化です。明治維新を境に洋服を着る生活になりましたが、現在でもハレの日には、着物を着て儀式が行われています。

 

「冠」の儀式

 私達が、お母さんのお腹にいる時の「帯祝い」から儀式は始まります。「冠」は、誕生を祝う出産祝いから長寿をお祝いする「年祝い」までの儀式があります。冠の儀式は、一生に一度だけ経験します。出産祝い・お七夜・お宮参り・お食い初め・初節供・初誕生・七五三・入学・入園祝い・成人式・厄払い・年祝いです。私達はこの世に生を受けて、家族・親戚・友人など、多くの人に支えられ、成長を見守られています。

 

「婚」の儀式

 ご自身の結婚式、ご友人・ご親戚の席にも出席する機会があると思います。現代は、結婚式・披露宴の他に、パーティ形式の席があります。主に、多くの人に祝福され儀式が行われていますが、元々は、新郎新婦のみで行われていたものでした。お互いを大切にして将来を誓うことが行われていました。その儀式とは別に、お互いの親戚との盃を交わして家族としての縁をむすぶ儀式がありました。

 

「葬」の儀式

 故人の死を、遺族と共に悲しみを受けとめる儀式です。特に故人や遺族に対しての思いやりの心。身近な方が亡くなられたとき、「旅立つ」という言葉が使われることがあります。私の生まれ育った地域では、生まれ変わって、また会える日を願う意味で現在も使われています。例えば、おじいちゃんが亡くなった後に、近い期間で家族に男の子が誕生した場合には、「おじいちゃんの生まれ変わりだね」等と、日常の会話で話されます。

 

「祭」の儀式

 冠・婚・葬に比べて、この儀式は、厄除けの意味を表す「五(ご)節供(せっく)」と季節の「年中行事」を表します。お正月に始まり、ひな祭り、端午の節供、七夕、お月見、冬至等、年に一度行われる儀式です。この「祭」の儀式を繰り返していくことで、ご家庭の行事と文化がつくられています。現在でも節供の時期になると、季節のものを供えて年中行事を楽しむご家庭があります。五節句・年中行事という儀式の形は同じでも、実際に行う儀式の内容や行事食は地域により大きく異なります。例えば、端午の節供の粽のかたち一つとっても、関東と関西、地方、県内、市内と地域を限定していくと、生まれ育った地域の特徴が見えてきます。

 次に、着物から冠婚葬祭を辿りたいと思います。生まれてから今までの儀式で着た着物をご紹介します。

 

【婚:振袖】  

【葬:帯】  

【婚:振袖】  【葬:帯】

 

 左側の写真は、母が結婚の時に着ていた振袖です。母が他界してからこの着物を見つけました。50年ほど前の着物です。着物に袖を通す度、時代を超えた家族の繋がりを感じます。この着物から、「自分に代わって、この着物が家族をお祝いしてくれますように」そんな母の想いを感じています。右側の写真は、「葬」の儀式に締める名古屋帯です。黒の染帯ですが、着物地の部分に日本の伝統文様が施されています。故人と遺族の方、そして先人への敬意を装いで表した文様です。先日、小さな頃からお世話になっていた知人が亡くなり、初めて着物と共に、この帯を締めて葬儀に参列しました。毎日のように挨拶を交わしていた方が、亡くなるのは、とても悲しいことです。感謝の氣持ちを込めて旅立つ姿を見送りました。

 

【冠:七五三の着物】  

【祭:お正月の様子】  

【冠:七五三の着物】  【祭:お正月の様子】 

 

 左側の写真は、七五三の着物です。三歳の時ばかりではなく、五歳のお正月にも、この着物を着ていました。寝る暇もほとんどなく仕事をしていた父が揃えてくれた着物です。今となっては、七五三の着物を着ることはなくなりましたが、節供の季節が近づくと、この着物を設えます。設えることで両親に感謝の気持ちを供えています。右側の写真は、5歳のお正月の様子です。当時は、一月二日になると、日頃からお世話になっている方の家に挨拶回りに行きました。写真は、正月遊びをしている様子です。(右側が私です)1980年(昭和55年)に撮影されたものです。この頃にはまだ、地域に、お正月に着物を着て挨拶回りをする習慣が残っていました。1990年代入ると、着物を着る習慣も少なくなりました。通信の発達と共に、私達の生活は情報にあふれ、服装も文化も海外のものが中心となる時期がありました。ここ十年程でしょうか。着物を着る方が増えてきました。女性ばかりではなく、男性の着物姿を見かけるようになったことは、とても嬉しいことです。これからも着物を着る機会が増え、着る人も増えていくことを心から願うばかりです。

 

 

 

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塩田 紀久代 (しおひめ)


 *和文化おもてなし研究所 代表
 *伝統文化むすび使・和文化おもてなしコーディネーター

 

1974年 山形県・鶴岡市出身。
幼い頃より父の影響を受けて、山村の年中行事に親しむ。
2006年 母の病気・他界を機に、約12年携わった
ショービジネスのマネージャー業からホテル・旅館業に天職する。
旅館の新規開業・再生事業を行う、おもてなし部署に所属する。
箱根・強羅温泉、静岡・修善寺温泉にて旅館業全般に携わる。
帰郷後、ホテルに入社。マネージャー職となる。
半年後には、ホテルが「ハイクラスの宿」となる。

 

和の文化を通して人と地域をむすび 社会にたくさんの笑顔をつくることを理念に
2012年10月「和文化おもてなし研究所」(商標登録)を開設。
子どもの着付け、女性のしぐさ。季節の年中行事を通して、
暮らしに生きるおもてなしの提案を行っている。
受け継がれた和の文化とおもてなしの心を未来につなぐ活動として
「見返り美人になって和のおもてなしを学ぼう」講座を開講。

 

2013年10月公開予定 映画「おしん」の制作に所作指導として映画撮影に携わる。

 

 

ホームページ http://wabunka-omotenashi.jimdo.com/

映画「おしん」公式サイト http://pr.livedoor.com/movie/oshin/