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マンスリーゾディアックとは 日本語で言えば「毎月の12星座」です。

太陽の通り道「黄道」 そこには12個の星座が配置させていおり、毎月30度ずつ進んでおります。それを「黄道12宮」と言います。

そこの場所を太陽が通過するとき、「○○座」という表現になります。 (私の誕生日は○○座) マンスリーゾディアックでは毎月の太陽星座を見つつ、その星座に隠れている「教科書には書かれていない星座の事」をピックアップしてまいります。 どうぞお楽しみに☆

 

第8回【蠍座について】

NOT FOR SALE Sugar

■氷山の深みでマグマを爆発させる蠍座

蠍座はおそらく12星座の中でももっとも大げさに誇張され、恐れられている星座と言えるでしょう。いわく、蠍座は一見大人しく見えるけれど嫉妬深く、猜疑心も強い上に、異常性欲で、毒や死に関わり、「邪悪」であるなどなど。どこか不穏で人をギョッとさせるようなイメージが先行してしまっているように思います。確かに蠍座はタロットでいえば「死神」のカードに対応していますし、先に挙げたキーワード自体とも決して無縁ではありませんが、それだけで蠍座を語るのはあまりに表層的です(ブラックさで言えばもっとも痛烈できつい毒を吐くのは乙女座)。

というのは、一般に広まったイメージとは裏腹に、実際の蠍座(の性質が強い人)というのは決してとっつきにくいという訳ではないですし、逆にむしろ12星座中もっとも素朴で、人懐っこい星座なんです。ジョークこそあまりききませんが、根っからの人好きで、イヌかネコかで言えば完全にイヌ型ですし、いったん打ち解けてしまえば兄弟の盃を交わした仲とさえ言えるほどに、とことん相手と結びつき、真剣に絆をたぐろうとする。けれどだからこそ、誰彼かまわず感覚的にパッと飛びついていくのではなく、まず相手が盃を交わすほどの相手なのか、はたまた今がその時なのかをよーく見極め、関係性から不純物を取り除こうとするんですね。

それゆえ、蠍座というのは、相手と向き合ったその場で把握できたり、あるいは条件次第で左右されてしまうことには基本的に信用を置きませんし、(天秤座のように)必要以上にオープンでフレンドリーな態度を取ろうとすることも決してありません。むしろ反対に、まずその場で抱いた思いや考えをいったん自らの内側に納めて“溜め”を作り「ろ過」しようとするんですが、これは向き合う側からすれば、相手の内側にこちらの手の届かないデッドスペースのようなものを感じとって、大抵の人は単にそれを「壁ができた」と捉えて戸惑ってしまう訳です。ところが、実際にはそれは「押入れ」のように奥行きがあって、思いや考えが仕舞われている。しかもそれはただの押入れではなくて、「おしいれのぼうけん」という絵本に出てくる、中でしばらくジッとしていると、フッと闇の向こうに別世界へつながる通路が開いてくるような、特別な押入れなんです。では、一体その内部では何が起きているのか?そして何のためのろ過なのでしょうか?そうした点を念頭におきつつ、以下掘り下げていきたいと思います。

蠍座がもっている「特別な押入れ」、それは例えば、意識と無意識を説明する際によく使われる「海面に顔を出した氷山」をイメージするといいかも知れません。一見手で触れ目にとびこんでくる小さな流氷の陰には、それよりずっと巨大な氷のかたまりを予感させるのですが、それでもやはりこちら(灯りのついた室内)からはその全容を視界に収めることも、直接触れることもできません。ところが、こちらが耳を澄ましてジッとしていると、不意に聞こえてくるバリバリッという喧響(おとない)とともに、目の前に奈落の底へと通ずるかのような亀裂が走り、あるいは、それまで隠れて見えなかった氷の塊が海の底へ突き出している様子が目に入ってくるんですね。こうした非常事態に陥ったとき、天秤座ならば、風の星座らしく、まず息を整えるための間や、風通しのよいスペースを探し求めて、いったん事態を俯瞰的に把握しようとするでしょう。その点、蠍座は(水の星座らしく)水が高い所から低い所へと流れていくように、ごく自然に底へと降り落ち、あるいは深海へ潜って、突如目の前に出現した「(目に見えない)識られざるもの」に耳をあて、目を閉じて、全身で感じとろうとします。その際、これまで光の下でくっきりとした輪郭を持ったもののみにその冴えた視線を向けてきた人が直面するであろう、闇の底へと引きずりこまれるような、自身が完全に何ものかに圧倒されるような体験(深いところには、大きいものがいる)。暗き空間は、人智をこえた自然の霊力が宿る蔵(くら)であり、この体験領域の“深みないしそれに伴う強度(水圧)こそが、意識のステージが天秤座から蠍座へと至ったときに初めて覚える大きな不快感や恐怖感の要因であると同時に、蠍座が自らの聖所(=押入れの奥に入ってろ過を進めるためのスイッチでもあるんですね。

行きはよいよい帰りはこわい。では、そうして深みへ奥へと流れ、仕舞われていった思いはどうなるのか?それには、同じ山は山でも、氷ではなく「内部に熱いマグマを湛えた火山」をイメージしてみるといいでしょう。マグマというのは堆積した地層を溶解させながら、長い時間の経過とともにゆっくりと溜まっていくものであり、その中には当然とても古い時代に溶けたものも混ざっています。これは「遺伝」というものが肉体的な形質だけでなく心的エネルギーにも見られるということを考えると非常に示唆的です(地下の深部には、古人の宝が眠っている)。例えば、親そして祖父母の代が累々と抱いては継承してきたにも関わらずほとんど気付くことさえなかったある種の心理や記憶が、子の世代にいたって一気に明るみに出て、表舞台へと噴出してくるという光景に、私たちは時折遭遇することがあります。これは長い間休眠していた火山が活動期に入ってついに噴火するように、特定の心理や記憶などの心的エネルギーが長期にわたって“持続”し蓄積されていくうち、一定の閾値を越えた思いの量が質の転化をもたらした結果(=ある種の心の隔世遺伝)とも言えるかも知れません。堆積した時間の層が、いつしか山の体液=マグマとなって再び熱と鼓動を帯び、噴火という形で目を覚ましては、みなぎるいのちとともに時間を取り戻す。そうして噴火した火山は、その圧倒的なエネルギーの爆発により、天秤座が整備してきた他者との協定関係やあらゆる境界線を侵犯・蹂躙した上で、辺りの地形や風景を決定的に変えてしまいます。つまり、火山とは時を超えて受け継がれる心的エネルギーの溜まり場(=子宮)であると同時に、それを放出することで自然を産み直し、現実に変容をもたらす器でもあった訳です。

霊が閉じ込められた闇の中で「想定を超えた深み」を経験させてくれる氷山、そして「想定を超えた持続」により日常世界に爆発的な活性をもたらす火山。蠍座の心のうちを知るということはこれら二つの自然を同時に知っていくということでもありました。そこには、天秤座においては登場しなかった自分など比較対象にもならないほどの圧倒的な存在の大きさがあり、それが自分を含めた辺りのすべてを跡形もなく覆って蹂躙し尽くしてしまうと同時に、いつ“その時”がくるのかは誰にも予測できないという緊迫感があった。ロシアンルーレットや破裂する風船ではないですが、確かにこれは恐ろしい。けれど、よくよく考えてみると、そうした恐さは蠍座自体に由来するのではなく、あくまで蠍座が向き合おうとしているものによって引き起こされた反応なのだとも言えます。つまり、さながら蠍座は南極探検隊であり、火口調査に向かった火山学者ないし地底冒険家であり、危険を顧みず虎穴に入る爆弾処理班なんですね。そして少し扱いを間違えるだけで人生を揺るがすほどの大問題ともなりえる蠍座の聖所は、生半可な関わりを許さず真摯に向き合うことを要請されるがゆえに、かけがえのない宝でもありました。なぜか?それについては、再度天秤座を振り返りつつ、もう少し見ていきましょう。

 

蠍座は寝室で何をするのか?

前回、7番目の星座であり、集合性との関わりをテーマとする後半星座の先陣をきった天秤座は、「はじめて自分を見失う危機に瀕する」星座だと書きました。だからこそ、目の前に現れた異物としての“他者”と必死で間合いをとり、呼吸を計りつつその表情や所作から相手が物事をどのようにみているのかという精神のフレームを見抜くこと、そして何よりもまず、自らが生き延びることを第一に優先していました。そのためにも、様々な条件・角度から他者を把握していった上で、自らが“相対的に”優位に立つ必要があった訳です。また風の星座らしく、向き合う他者を言語化・概念化して、操作し、何らかの協定を結ぶことでその闘争を乗り切ろうとしました。これは応接間で繰り広げられる立派な外交戦争です。そして、そうであるがゆえに、天秤座のオープンで柔和な顔とは裏腹に、その営みはたえず状況の変化を読み、競争の中で強弱のランクや位置取りを更新し勝ち続けようとする「終わりなき闘争」でもあったんですね。

蠍座というのは、そうした目で見え、計ることができ、比較できるものをめぐる闘争を終わらせようとするところから全てはスタートします。闘争に負けないための最大の戦略とは何か?それは逃げること(距離をとること)であり、天秤座は何か身の危険が生じればいつでも協定を解消できるという身軽さを持っていたがゆえに決して負けることもありませんでした。しかし、逃走というジョーカーを持ち札に有してゲームに興じる限り、人は自分が把握でき、コントロール可能なものを頼みにする他ありません。それは言い換えれば、向き合う相手を才能、血筋、学歴、地位、魅力、富など、記号の集合体として偶像化し、同時に自らの「条件の部分」によって充足や安心感を追求していくということでもありました。確かにそれは生き延びるための戦略であり、生きやすさを与えてくれもしましたが、行き過ぎればそれは人を飽くことのない欲望の虜にし、人と人、人と自然を分裂させていきます。

「将来性があるからお付き合いしよう」、「いいことをしてくれたからあなたを愛する」。そういう状態が続いたとき、ふと人がはまり込んでしまうのが「孤独感」です。それはただ競争で遅れをとったとか、失敗でつまづいてしまったという類のものではなく、もっと根本的なところでの生理的な枯渇感であり、例えるなら人間の内なるみずみずしさの源としての井戸が干からびて、ただの穴になってしまった状態という風にも言えるかも知れません。そして、そんな穴を前にしたとき、蠍座は選択を迫られます。深く乾いた音を響かせる孤独感を抱えたまま、応接間で外交カードを繰り、あくまで招いた来客者に勝ち続けんとする道を選ぶのか。あえて身軽さと優位的立場を放棄し、負けること、自らのいのちが脅かされることへの恐怖を抱えつつ、薄暗い寝室への扉を開け、選んだ相手の手を引いて、静かに目を閉じるのかを。

それは物事を客観的に見たり、そのために距離をとることを一時的にでもやめるということであり、『シッダールタ』流に言えば、「目標に取りつかれたまま、さぐり求めるものを<見る>」道に対する、「目標ではなく目の前にあるものに目を向け、心を開いて<ある>」道ということになるでしょうか。この相手にだったら負けてもいい、この相手にだったら自分の穴を見せてもいいと観念するということでもありますね。

蠍座はそこで、先に挙げた後者の道へ入っていくうち、目で見て客観的に捉えることのできる「条件」を一枚いちまい脱ぎ捨て、脱がし、衣のした、皮膚の内側へと意識を移していきます。そして相手との距離を消し、ともに互いの穴の底へと降りていくことになる訳ですが、これが凄くおっかない。底へ降りていくほどに、普段その人が抱えもちながら秘密裏に醸していたものが、剥き出しになっていくからです。恐れ、欲望、怒り、傷のうずき・・・。それらどんな人であっても変わらず存在する、苦しみや虚栄、混乱や喜びのうねりが不気味に音を立てて煮え立っている様子が丸聞こえになり、それを連れ込んだ相手とともに聞かなければならない。下手をしたら自分のイメージなんてもはや元に戻せませんし、蠍座にとってこれほど恥ずかしいことはないでしょう。

ただそれは最大の屈辱であり危機であると同時に、孤独感からの大きな回復の契機ともなりえます。穴に潜むものの声をじかに聞き、自分の身体がその共鳴器となったとき、蠍座は改めて、自分がいったい何を喪失し、何によって貧しくなっていたのかを思い出し、それを受容することで、力を取り戻していくことができる。「涙があふれてくる。大地よ、また私を取り戻してくれたね!」と歌ったのはゲーテでしたが、人は悲しみや喪失を経験し、その経験によって心から「」を流すことができたとき、初めて内側の深みにおいて大地とつながり、自らを取り戻していくんです。そしてこの大地とは、すなわち大地母神であり、母なる子宮たる海でもあり、氷山や火山の深みに宿る、集合的無意識よりもさらに深い、いのちの源泉なんですね。

人間は、自分ひとりでいのちを作り出すことはできません。誰もが、こうした源泉から、いのちを与えられつつ生きており、その事実においてこそ、他者との真の意味でのつながりが可能になっています。これは、天秤座において成立していた「見失わず見つめあうことで共にあること」とは根本的に異なる、「断ち切られず繋がっていることで共にあること」という蠍座らしい他者との関係性を保証する、すみやかなすみやかな万物流転の生命潮流でもあり、それは凍結した心の深みを溶解させ、熱い水蒸気となって地表に噴出していきます。

そう、いったん海面に潜るかのように穴を降り、涙によって失った自分を取り戻していった蠍座は、今度は穴の中を噴火する火山のように浮上していくんですね。そしてこのとき、涙と打って変わって蠍座の中にもたらされ感得されるのが「笑い」なんです。笑いといっても、それはクスクス笑いやヘラヘラ笑いなど頭だけで笑う閉鎖的な笑いではなく、おなかを抱え、床を転げまわって、息も絶え絶えになるような、こころとからだが一緒に笑う爆発的な「大笑い」。笑いといえば、日本神話では日神であるアマテラスが岩屋戸に隠れてしまったときのアメノウズメの舞が思い出されますが、もともと「笑」という言葉は「割ら日(わらひ)」つまり、岩のように固く硬直し閉ざされしまった自我の殻が割れて、底から日の神=いのちの源が湧き出てくるというところからきたという考えもあるようです。涙と違い、こうした笑いはもはや個人のものとしてではなく、引き入れた相手と、そして場を共有する他者たちの方へとあふれ出し、共有されるものとなって、大きな解放感をもたらしていく。

噴火によって周囲を覆いつくすマグマは、それが涙によって浄化されているほどに、自分や周囲の感情を自然と受け入れ有機的に結びつける大らかな養分となっていくんですね。それはやがてくろぐろと地表を覆う原生林となって、再生の験を求める人々の聖所となるはず。古来より、聖なるものとは、それを祭る共同体や人々のつながりや紐帯を強める上で、きわめて重要なものでしたが、それゆえにこそ様々な禁忌(タブー)を社会的なふるまいとして伴ってきました。人間の底の底に眠っている根本的な欲求をみたし、解放する力だからこそ、わざわざ聖別された寝室が霊力を宿す蔵として、たくさんの人が来客する応接間からは隔てられる形で別途用意されてきたんですね。蠍座のもつ底抜けの包容力や、現実に決定的な変化をもたらしてしまう特質というのも、こうした禁忌と背中合わせにある聖所という場の力に起因しているのかも知れません。

 

蠍座のKeyword:
12星座中もっとも素朴で、人懐っこい星座
自らの内側に“溜め”を作り、思いを“ろ過”しようとする
=ここで人に壁ができたと勘違いされやすい

「想定を超えた深み」を経験させてくれる氷山
「想定を超えた持続」に裏打ちされた火山
この2つの自然を併せ持つことが蠍座の生きたプロセス

南極探検隊、火口調査に向かった火山学者ないし地底冒険家
危険を顧みず虎穴に入る爆弾処理班としての蠍座

「終わりなき闘争」を終わらせようとする星座
目標ではなく目の前にあるものに目を向け、心を開いて<ある>

人間の内なるみずみずしさの源としての井戸
いのちとつながり、自らを取り戻す「涙」
自我を割り、いのちを噴出す「笑い」

禁忌(タブー)を伴う聖所であり、再生の場

 

 

sugerSugar(シュガー)
1983年7月31日生。慶應義塾大学哲学科卒業後、ベンチャー企業の営業職を経て、より多くの人に占星術の面白さを伝えるべく、占い師の道へ。現在、対面鑑定・講座・執筆などを中心に活動中。男性占い師ユニットNOT FOR SALEメンバー。

 

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