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マンスリーゾディアックとは 日本語で言えば「毎月の12星座」です。

太陽の通り道「黄道」 そこには12個の星座が配置させていおり、毎月30度ずつ進んでおります。それを「黄道12宮」と言います。

そこの場所を太陽が通過するとき、「○○座」という表現になります。 (私の誕生日は○○座) マンスリーゾディアックでは毎月の太陽星座を見つつ、その星座に隠れている「教科書には書かれていない星座の事」をピックアップしてまいります。 どうぞお楽しみに☆

 

第2回【牡牛座について】

NOT FOR SALE Sugar

 

もし出会って間もない相手が「牡牛座でB型」だと知ったら、あなたなら、一体どんな人物像を想像するでしょう?「さぞかしマイペースな人なんだろうなぁ」なーんて、一瞬でも思ったりしませんか。そう、B型と牡牛座ってイメージ的にどこか似てるんですよね。良く言えばマイペース、悪く言えば頑固。そんな自分に正直そうなところが通底するイメージとしてあるのかも知れません。

では、牡牛座は何に対して正直であり、いかなる原因にもとづいて頑固なのでしょうか?そのあたりを深堀りしていくことで、牡牛座の(性質が強調されている)人に特有の「おっとりしているように見えるけど、実は12星座一シビアで、好き嫌いがハッキリしてる」といった意外な一面が、ちっとも意外でも何でもないことが見えてくるでしょう。

 

■12星座中もっとも「生命的」な牡牛座

牡牛座は、牡羊座に続く2番目の星座。牡羊座が、子宮というある意味別の宇宙、世界から産道を通って”頭”からこの世へと勢いよく跳躍し越境してくる「新生児」だとすれば、牡牛座は誕生から2歳前後くらいまでの、何でも”口”に入れようとする「赤ん坊」になぞらえることができます。

赤ん坊は、本能的にお母さんの乳房にもたれかかって乳をもとめて吸いよっていきます。そうやって口を通じて、栄養を摂取し、快感を得て、また母親との感情的交流を果たすことで、何としてでも生き永らえ、この世に定着しようとするんですね。したがって、牡牛座を牡牛座たらしめている衝動や性質も、口や舌などの口唇粘膜をめぐる赤ん坊の本能に着目していくことで、その本質に接近することができるはず。

まずそもそも、赤ん坊という奴はなぜあんなにも、何でもかんでも口に入れようとするんでしょうか?あの固執ともとれる貪欲さは一体どこから来るのか、というのが、やっぱり引っかかるわけで。この点で参考になったのは、三木成夫さんの『胎児の世界』にあった、舌をめぐる以下のような言及でした。

・「味覚は視覚のそれに比べて桁違いに深い(中略)脊柱動物の自然誌から見れば、おそらく両者の間には数億年といった歳月の開きがあるだろう」(p28)
・「(胎児は生後)三ヶ月に入ると、一人前に舌なめずりをおこない、舌つづみを打ちはじめるという。(中略)この頃から彼らは、この液体(羊水)の味見に明け暮れる。」(62p)

つまり舌や味覚というのは他の感覚器官と比べもっともプリミティブで、(三木成夫さんの言い方を借りれば)「生命的」なものであり、それと同じ度合いで、牡牛座の性質も他の星座と比べもっとも「生命的」である、という言葉で表現できるということ。そういう意味では、赤ん坊の行動も、人間という括りを外せば、鳩がとりあえずクチバシで落ちているものをついばむように、生命にとってごくごく当たり前の行動と言えるのかも知れません。

また、舌や口を閉じるくちびるや、音を発するノドも牡牛座の身体的な対応部位。

・「唇音である「マ」音は西欧諸国ではmamma(乳房)からmater、maman(母親)まで、わが国ではご飯では「マンマ」からご馳走の「ウマウマ」まで、それは食に関する根源的な欲求の対象を指す際に用いられる」(同p38)

原始生命から現在への人間へと進化する約2億年の歳月の積み重ねのあいだ、哺乳類へと進化したすべての生物の舌は、まず母乳の味にたどりつくことを目指してきました。そこでは母乳を味わうことが生存と直結していましたし、そのためにもその欲求を、種ごとの唇音に託して表現し続ける必要もあった訳です。「吸え」「舐めろ」「味わえ」というのは、ずっと生命に宿る最初の至上命令だった。その命令にもっとも素直に反応し、正直でいられるのが赤ん坊であり、ひいては牡牛座なんですね。

一般的に、牡牛座は頑固とか、安定志向だとかよく言われていますし、確かにそういうところもあるかも知れません。ただ、上記のような生命史における舌や口唇の位置づけを考えると、それは自分が生きていく上で必要なものを徹底的に見極め、味わおうとする生物として最も基本的な欲求が強調された結果に過ぎないと思うんです。

というのも、母乳を判別する手段としての、食感や舐めた時の味わいを通じた「口の判断」には、「本物かどうか」という真偽へのシビアなこだわりやそれを支える揺らぎな基準こそあっても、浮ついた変化やそれを許容する柔軟性など不要というもの。

こうしたブレのない基準や貪欲なまでのシビアさは、牡牛座の人に優れた審美眼を与えますが、美を司る金星が支配するもう一つの星座・天秤座のそれと比較すると、そこには大きな違いがあります。天秤座は、どうしても美しさやモノの価値を、比較検討を通して客観的に「評価する」んですが、牡牛座の場合はただ「感じる」。あるいはその感じを味わって「堪能する」んです。そうやって、一度「本物だ」と認識した自分にとっての「乳房」を見つけたら、何度でも繰り返し吸いつき、味わい尽くすやり方こそ、牡牛座の本道と言えるでしょう。

■A感覚―快楽への貪欲さこそ牡牛座的豊かさの鍵

ここまで、本物を吸い寄せ見極めることと、それを味わうことへの生物本能の強いこだわり、並びにその本能と牡牛座との関連について言及してきましたが、牡牛座のそうした性質や傾向について、少し違う角度からも掘り下げてみましょう。

一般に、そこからどう足掻いても背くことのできない衝動は「本能」と呼ばれ、その絶対的な2トップとして食欲と性欲が挙げられますが、この2つには何かと通じるところがあるようです。そのうち食欲というのは、やはり牡牛座と縁が深く、実際、おいしいものに目がなかったり、純粋に口を動かしているのが楽しいという人が多いんです。

で、そんな牡牛座におあつらえ向きなグルメ漫画には、食欲をそそり思わずヨダレが出るような擬音語が頻出しますが、実はまったく同じような擬音語がエロ漫画にも使われているということに、なんとなく気づいている人も多いんじゃないでしょうか。

例えば「ぷりぷり」「しこしこ」「じゅわーっ」なんて、それこそ発言のシチュエーションによってはセクハラで訴えられかねない表現ですが、『中華一番!』しかり、『美味しんぼ』しかり、『孤独のグルメ』しかり、グルメ漫画の中に探せば、こうした擬音語はいくらでも出てきますよね。

つまり、食と性それぞれの様相は、音を通せばそのまま互換されうる。占星術的にも、牡牛座を食に縁の深い舌や口唇に対応する「欲望の門」とした時に、その正反対の星座である蠍座は、性に縁の深い性器に対応する「欲望の門」と見做すことができ、両者は「摂取する快楽(牡牛座)」と「排泄する快楽(蠍座)」という2大快楽を司る軸で結ぶことができます。生理学的にも、くちびると肛門は感覚神経の感度が同じくらい高いそうですが、このことは、一体何を意味しているのか…。

そのあたりの事情について、示唆を与えてくれる人物のひとりに、作家の稲垣足穂がいます。エッセイ『A感覚とV感覚』において、氏は人間を口から肛門までつながったひとつの円筒に見立てつつ、A感覚こそもっともプリミティブで根源的な感覚であり、肛門(Anal)から口腔(Oral)へ抜けるAO円筒こそ「人間の幾何学的存在様式」と述べました。普通なら、口から入れたものが肛門から排泄される流れこそ”自然”だけれど、その流れが逆流する基点としてAがあり、そこからOへと還っていくという構図がここで提示されています。

AとOをめぐる関係については、先に引用した『胎児の世界』にも、「口と肛門の両端で固定された腸管は、途中で捻転を起こして陰陽二ツ巴をかたどる渦巻き」という言及が出てきますが、その渦巻きの中で、AからOへの流れというのは何を表しているのか。

まず前提として、食に象徴される、栄養を取り込んで生きのびようとする本能の相と、性に象徴される、相手を見出し合体して種を残そうとする本能の相が交換され、移り変わって刻まれていくリズムこそ、どんな生物にも共通して現れる「生命のリズム」であり、この2つの位相が繰り返されることの中で保たれる生命としての普遍的様式があるとします。

ところが、前者の食の相=牡牛座的な衝動というのは、とにもかくにも、既に「ここにある(目に見える)もの」を深く感じ、放さずしゃぶりつくすことで「豊かさを得る」ことに目的があるため、下手をすると、強すぎる執着が固定観念や思い込みとなって自分をガチガチに縛りあげ、本当に一歩も動けなくなってしまったり、単なる怠け者になってしまうんですね。そうなれば牡牛座的欲求を健全に充たしていた「リズム」も当然、崩れてくる。

そこで、後者の性の相に象徴される「ここにはない(目に見えない)もの」と一体化し、新しい未知の要素を人生の中に生み出そう、もたらそうとする蠍座的衝動を上手に取り入れ互換させることで、リズムを取り戻し、チューニングする必要がある。そしてその鍵となるのが、先のAO円筒における逆流する基点としてのA感覚という訳です。

このA感覚というのは、全ての大人が赤ん坊から少年・少女になるまでに通ってきた、どこか懐かしさをもつ感覚のことで、セックスの根源にある、あらゆる緊張の解放感をもたらすものの呼称です。これと対比されるのが、V感覚でありその裏返しとしてのP感覚。簡単に言えば、ふつう、性的快楽といえばまず男性のP(性器)と女性のV(性器)の合体を思い浮かべますよね。ところが稲垣足穂はそういう機能的合体に基づくV感覚というのは、あくまで機能に伴う快感だから、純粋な快感ではない、むしろA感覚の方こそ、そういう機能や役割から自由な分、純粋な快楽であり、恍惚の強度も強いと言ったんです。
V感覚ってすごく「面白い」んですが、面白さというのは頭で感じるもので、それは生命が全身で感じる純粋感覚的なものじゃない、というだろうと思います。

つまり、性的行為に男根とかそれを受け入れる器としてのヴァギナやら(=V感覚)が出てくると、どうしてもやらなきゃ(受け入れてあげなきゃ)失礼みたいな職務的な義務感が伴ってしまうし、そういった余計な気遣いや自意識、あるいは駆け引きによる勝ち負けといった、どこか「共学」的なおためごかしのゲームに巻き込まれると、純粋な快楽体験が鈍磨してしまい、ひいては生命のリズムを取り戻すこともできない、というわけ。

これはなにもゲイのアナルセックス万歳というお話ではなくて、男と女であっても、ひとりであっても、どうしても性の相というと、V感覚的なものを嗜好しがちだよね、という話です。その上で、そういうV感覚の根源にあるA感覚に触れることができたとき、初めて、目に見えない豊かさも含めて味わえるよう、牡牛座の堪能能力と審美眼もより一層澄んだものになってチューニングされていくんです。いわば快楽に対して、他の誰よりも貪欲で、確信犯でいることが牡牛座の牡牛座たる資格な訳ですね。

そういう意味では、V感覚が共学的だとして、A感覚はどこか男子校的ノリというか、共感とか他者からの視線を排しているという点で、より純粋な興奮と楽しさに通じた感覚と言えます。もともと、牡牛座には身近なところに豊かさを見出す天性の感覚がありますが、それは世間的な意味での富やお金、あるいはそこで充たされる虚栄心や見栄などと一線を画したところで初めて、正常に作動していくものなんです。

頭で感じるおためごかしに乗らず、純粋で感覚的な確信を待つ。
そうして一度これと決めたら、徹底的に吟味し、しゃぶりつくす。

それが牡牛座の特徴であり、与えられた役割なのでしょう。

牡牛座のKeyword:
生命的・味見・審美眼・シビア・確信
味わう・堪能する・評価するのでなくただ感じる
おいしいものに目がない・純粋口を動かしているのが楽しい
A感覚(純粋な恍惚)でリズムを取り戻すことができる

 

 

sugerSugar(シュガー)
1983年7月31日生。慶應義塾大学哲学科卒業後、ベンチャー企業の営業職を経て、より多くの人に占星術の面白さを伝えるべく、占い師の道へ。現在、対面鑑定・講座・執筆などを中心に活動中。男性占い師ユニットNOT FOR SALEメンバー。

 

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